東京都中野区に住んでいる三好亜矢子です。 おしゃれにエコシフトする中野区民31万人の挑戦に向けて、 日々是学習、思考、行動。 「まちをデザインする」を執筆中。

2009年7月16日木曜日

中野あるく・みる・きく第1回



なかけんニュースレター  番外編     あるく みる きく NO.1  2009年7月16日

「あの人、公園の管理人さん?」
~公園居住者の中村さんと私たち~  

●住民とともに高齢化した都営住宅
 

 東京都中野区上高田4丁目。私のうちから歩いて2分ほどのところに、テニスコート1面分ほどの公園がありました。昭和30年代初めに建てられた都営住宅にたくさんの子どもたちが溢れていたころ、住民の要望に応えて東京都によって、隣りの空き地に遊び場が造られました。ブランコ、鉄棒、滑り台といった公園遊具3種の神器も合わせて設置されました。5階建ての住宅には50世帯が住んでいました。正確には公園ではなく、「ちびっこ広場」と呼んでいました。
 

 誕生から半世紀近い時間が流れ、都営住宅から子どもの姿は次第に消えていきました。住民自身が高齢化するとともに、空き家が発生しても、ファミリー世帯を積極的に入居させる誘導策も取られず、
そもそも2DKと狭い間取りそのものを改善しなかったことが大きく影響しています。いわば都営住宅は、ちびっこ広場とともに老いるがままに放置されたと言えます。

●ビオトープとして再生
1999年、東京都から中野区に対して、都営住宅の住民に代わって、この場所を管理運営するグループを募りたいとの連絡がありました。たまたま近くの区立公園の管理・運営していた私の友人に打診があり、その運営を担当することになりました。ちびっこ広場にとっては再生のチャンスが訪れたのです。私たち「ちびっこ広場運営委員会」が、一番最初に中野区公園課(当時)の担当者にお願いしたのは、今にも壊れそうな遊具の撤去でした。そのときの担当者の言葉も興味深いものがありました。
 「一度、撤去すると将来、また皆さんが設置したいと思っても、行政としては二度と対応できませんからね」
 私たちはそれで結構ですと答え、ちびっこ広場は人間の子どもたちを含むビオトープとして蘇りました。入口の看板にはこう書きました。                     
               「ここには滑り台、ブランコ、鉄棒もありません。
             だけど、たくさんの種類の木・草・虫や鳥などが暮らしています。
                仲良く遊んでね」
 
 「トノサマバッタやヨコバイなどの虫捕りに夢中の子どもたち」
 「昼休みにほっと一息、コンビニ弁当を広げる営業と覚しきサラリーマン」
 「ペットの白色レグホンを散歩させるご近所のおばさま」かと思えば、

 甲羅がガラパゴス諸島のゾウガメのように盛り上がっている、手の平サイズのリクガメを放して歩かせる30代の若者もいました。「コイツもこういう草っ原が好きなんですよ」ちびっこ広場は訪れるそれぞれの人によって様々な顔を見せてくれました。

 しかし、10年後の今年5月、その存続を求める私たちの働きかけは実を結ばず、都営住宅の建て替えにともない、駐車場の一部になりました。
 今や、工事現場のグレーのフェンスに囲まれて見ることもできない、ちびっこ広場というまちをつくる一つの装置が生まれて消えるまでを振り返ると、様々なことが浮かび上がります。


●「あの人、公園の管理人さんなの?」
 一つは、場を媒介して人と人との関係が変化していくことです。

 ちびっこ広場には5年前から千葉県生まれの50代半ばの方が住んでいました。仮に中村さんと呼びましょう。隣りの都営住宅の住民を含めて、ご近所からは「ホームレスがいると気味が悪い」「おまわりさんに連絡して出ていってもらおう」の苦情が次第に大きくなり、「なぜ、ちびっこ広場運営委員会は放置しているんだ」と私たちにまで風当たりが強くなりました。

しかし、中村さんが私たちと一緒に草刈りや花壇の水やりをしているのを目にするにつれ、その声は次第に消えていきました。しばらく経ったあるとき、近所の人から「あの方はこの公園の管理人さんなの」と尋ねられたときは、内心、「やった」とガッツポーズをしました。
 私たちが中村さんをちびっこ広場を手入れする仲間の一人として接していることが、地域で見えたとき、住民の皆さんのなかにも彼の存在を受け入れる心のゆとりが生まれたのではないでしょうか。人権擁護の立場からホームレスの居住権を主張することは可能ですが、現実の暮らしのなかでは反発を生みやすいことも事実です。私たちはそうではない方法をとりました。それは中村さんが「公園」という公共空間を美しくする作業を私たちと一緒に行っている姿をありのままに見て貰うことだったのです。地域の人たちがそれをどう受けとめるのか待つことであり、任せることでもありました。
 中村さんはちびっこ広場閉鎖後、妙正寺川の対岸にある落合公園に移り、健在です。


* 本稿は、加筆修正後、「ひととまちの関係性をデザインする(仮題)2010年春、新評論から刊行予定」に所収します。
* 続きをお楽しみにして下さい。


講演会&ワークショップ

「市民自治をつくる」
~我孫子の事例に学ぶ情報公開と市民参加~
講師  福嶋浩彦氏
(中央学院大学教授 前・我孫子市長)
● 2009年7月25日(土)
       午後2時~5時
● 中野区勤労福祉会館3階 大会議室
● 参加費  500円

「中野のまちのここが問題」「こんなふうにしたいよね」みんなでわいわいガヤガヤ話しませんか。妙案が浮かぶかもーーー。

発行年月日:2009年7月16日
発行:中野政策研究会(代表・三好亜矢子)
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